弊社の失策 その②

自分の父親のことを言うのもなんですが、先代社長は、天才肌の経営者だったと思います

弊社には「販売の方程式」 というものが存在し、それを理解し、その方程式に則り販売や仕入れを行えば

まだ20代だった若年の私でも、他店の熟練の外商や販売員と渡り合っても、後れを取ることはありませんでした

そしてその方程式を考えたのが、先代社長てある父親です

こんなエラそうなブログを書いている私も、今行っていることは、その方程式の延長上にある事はに過ぎず

だから弊社は家具不況においても、伸び続けているのだと思います

ただ長嶋茂雄がそうであるように、イチローが佐山サトルがそうであるように、天才肌の人は指導教育が壊滅的に下手くそ

親父もまた、くどくどと詳しく方程式について説明する人ではありませんでした

私がそれを理解できたのは、いうなれば 「血のなせる技」、まぁ最も身近で子供のころから接していれば

いくら凡才の私でも、父親の考えてることくらいはわかったのだと思います

では、弊社の失策とは・・・・・・・

ズバリその方程式を、私以外の誰も理解していない事でした、バイヤーでもある店長以下の社員全員です

当時のバイヤーはよくこの方程式から外れた仕入れを行い、そのたびに親父は私に

「なぁ○○〇(バイヤーの名前) は一体何を考えて、こんなもの仕入れてきたんだろう・・・」 と私に問いかけてきました

私はその時に決まって 「さぁ~ねぇ~  じゃあ本人に指導注意したら?」 と言いましたが

遠慮からか、ついぞその場面は見られませんでした

まだ景気の良かったころは、それでも売れていましたが、急激に景気が悪化してくると、そのツケは一気に噴出しました

次第にバイヤーが仕入れてきたものが売れなくなっていきます・・・・・するとバイヤーは仕入れに行くのを渋るようになっていきます

「もう年齢もいってきたので、地方に泊りで仕入れに行くのがしんどい」  それが表むきの理由でしたが

要は彼自身、なにを仕入れていいのかわからないのだったと思います

しかし自信家の彼はそれを悟られる事を避け、「しんどい」 という言い訳をしていたのだと私は分析します

私は親父にバイヤーの交代を進言しましたが、親父は 「あれを育てるのに一体何年かかったと思うんだ

と続投を指示しました・・・・・・   

トップの判断ですから私も従わざるを得ません・・・・・・しかも私はその頃すでにベッド館の店長でしたから、そっちの方で手一杯

そこで親父と私は一計を案じます

主要メーカーに依頼して、自社の売れ筋ベスト5 の資料を作成してもらったり、インティア関係の専門書や雑誌を買いあさり

わざとバイヤーの目に触れるところに置き、見るように仕向けましたが、一向に見る気配なし・・・・・

親父はその頃から体調を崩し、その数年後ガンで亡くなるのですが

ある日、過去の販売データを出してきて、今後の仕入れや販売の参考にと考え、バイヤーに見せました

ところが チラッと横目で資料を見たと思ったら 「こんなもの過去のもの、何の参考にもならない

と無造作に資料を投げ捨てました

さすがにこれには親父も烈火のごとく怒り  資料をバイヤーの目の前でビリビリに破いてしまいました

慌ててバイヤーは資料を拾いましたが、この時先代はようやくバイヤーの交代を決意するのですが

時すでに遅し、ずっと以前に

「俺はこれこれこういう風に考える」 と方程式についてハイヤーに説明、教育していれば・・・・理解できないでも強要していれば

せめて数年前にバイヤーを変えていれば・・・・・・

これが弊社の失策です  こうして弊社本館は暗黒の 「失われた10年」 に突入するのです

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