失われゆく技術

新井家具店において失われつつある技術、それは修理の技術です

もともと創業者である祖父が桐ダンス職人であったことから、私が子供のころの当店の朝は

鑿(のみ)と鉋(かんな)を研ぐのが最初の仕事でした

親父の代までは、鑿(のみ)と鉋(かんな)を自在に操り、塗装に使うコンプレッサーを

使わない日が無いくらいでした

塗装で面白いのは、シンナーや塗料にはアルコールが含まれているので

塗装を数年でも仕事にすると、お酒を飲めない人が飲めるようになるということです(ほんとです)

今は防護マスクや整った設備で、鼻からアルコールを吸いこむことが無いのでそうでもないみたいですが・・・

とにかく、この修理技術は大きな武器となりました

時代も高度経済成長の昭和30~40年代、ただでさえ物は飛ぶように売れた時代ですから

メーカー倉庫には、タンスなどキズもの、難ものは行き場を失って有り余っていました

メーカー自身も修理して再販を掛ける手間暇よりも、焼却処分してでも倉庫のスペースを確保したほうが

得策と考えていたようで(それくらい売れていたのでしよう)

「これを買いたたいて修理して売る」と言うのが、その当時の新井家具の販売戦略でした

メーカーだって燃やすよりはお金に変わるわけですから、「渡りに船」

さあ、これらの家具を新井家具総出で修理します

誤解しないで下さい、ちょこちょこっと修理してゴマ化して売るのではありませんよ

他店やメーカーまでもが、「技術を教えてほしい」と見学に来たほどの修理技術で

誰がいったか、新井家具の修理後の商品は「新品以上」とまで言われたそうです

これを市価の半額で販売すれば、売れない理由はどこにもありません

良く祖父がお客さんにいっていました、「傷のある部分をよー見ておいてや」

結構あちこち傷ついた家具をお客さんに見てもらい、「ほどほどに治れば良い」くらいに考えている

お客さんが配達時に「これ新品もって来たのと違うの?」 と驚くのをみて嬉しそうにしていたのを思い出します

その技術が、祖父が亡くなり親父が亡くなり、数年前83歳で退職した最後のジェダイマスター、山崎さんが

いなくなった今、ほぼこの技術は失われてしまいました

・・・なぜ、このタイトルでブログを書こうと思ったかと言えば・・・

今、私の横でベッド館スタッフが修理の練習をしているのですが・・・・・ヘタクソ・・・・

・・・・えっ私ですか?

ちなみに私は、修行に出ていた家具店から帰ってきて、マスター山崎に弟子入りして三日目に言われました

「お前は口で生きていけ」・・・・

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